GW5日目

昨日はオーバーホールした自転車の仕上げで、バーテープを巻いたりして午前中過ごした。
ただどうも整備した自転車の具合が悪かったので、自転車屋さんに持って行った。
昨日も書いたが、ヘッドパーツのベアリングがあべこべだったみたいだ。
とても快適になった。
帰りに古着屋によって、服を買った。
薄手のロングスリーブ2枚と短パン、長ズボン。
久しぶりに服を買った気がする。
夕方、梅田まで妻を迎えに行った。

YouTube、時間の無駄かもしれない

テレビを見なくなった代わりにYouTubeを見るようになった。
ただこれは、YouTuberと呼ばれる人が、テレビみたいな構成で番組っぽいことをしていることがほとんどだ。
なぜ見るかというと、自分の好きなものを選択して見れるからだ。
内容はなく、結局は役に立つことはまれで、時間つぶしのためだけに見ている。
私はゲームの動画を見るのが好きだ。
ただゲームはほとんどしない。
これは小学生くらいから変わっていなくて、当時はテレビ番組でたまにテレビゲーム王決定戦とか、ある番組のゲーム紹介コーナーとかを新聞のテレビ番組欄で見つけては見ていた。
今だとYouTubeでこういったのは嫌というほど見ることができる。
終わりがないので際限なく見てしまう。
ということで、YouTubeというかスマホからもう少し距離を置かないといけないと思っている。
あまりにも依存しすぎている。
朝起きて寝るまで、かなりの時間スマホを握っている。
意味があればいいのだが、意味がなく時間つぶしでしかないのが問題だ。
家にいるときじゃあ何をするのか。
テレビ無し、スマホ無し。
本を読んだり、妻と話をして楽しい時間が過ごせたらとてもいいと思う。
あとは暖かくなってきたし、ランニングしたり。
便利な反面、時間を奪われるのはなんとなく嫌なので、何とかしようと思った次第。

7年前のGWは入院していた。

時間の浪費

YouTubeやAmazonプライムとかのネットでの動画がテレビに変わりつつあると感じている。
変りつつあるものの、音声と画像を通じた娯楽という部分に変わりはない。
五感の2つが集中するので、動画とかを見ている最中は他のことができないし、考えることもできなくなる。
能動的なテレビから、自ら選択して見ることができるYouTubeとかに代わり、テレビに束縛されることがなくなったと感じていたが、実際には見て聞く行為からは離れられていない。

YouTubeを見ていて思ったこと

よくガジェット系の動画を見る。
あとは料理するのとか。
ちょっと前だと自転車関係の動画をよく見ていた。
ガジェット系のを見ると、最近ではDJIのosmo pocketというカメラが最新の話題だ。
ある人の動画を見ていると、関連動画がワラワラと出てくる。
関連動画の方たちの動画は情報が2次、3次、4次と使い古されている感じを受ける。
自分自身の研究や発見ではなく、ほかの人の研究や発見を参考にして動画を作っているからだと思う。
なので、YouTubeのなかでもテレビのような状態が生じている。

何が言いたいのか

今回はテレビからYouTubeなどへ移行し、自分自身で見るものが選択できるようになっているが、そもそも映像と音声からは抜け出せていないということと、情報源が確か(自分自身の経験や憲章に基づく)なものを信頼すべきということを伝えたかった。
映像と音声については、別に見たりするのはいいと思うのだが、これから見るとか、何を見るとかを意識する方がいいのかなと思った。

とかいいつつ、なかなか本も読まない。