YouTubeやAmazonプライムとかのネットでの動画がテレビに変わりつつあると感じている。
変りつつあるものの、音声と画像を通じた娯楽という部分に変わりはない。
五感の2つが集中するので、動画とかを見ている最中は他のことができないし、考えることもできなくなる。
能動的なテレビから、自ら選択して見ることができるYouTubeとかに代わり、テレビに束縛されることがなくなったと感じていたが、実際には見て聞く行為からは離れられていない。
YouTubeを見ていて思ったこと
よくガジェット系の動画を見る。
あとは料理するのとか。
ちょっと前だと自転車関係の動画をよく見ていた。
ガジェット系のを見ると、最近ではDJIのosmo pocketというカメラが最新の話題だ。
ある人の動画を見ていると、関連動画がワラワラと出てくる。
関連動画の方たちの動画は情報が2次、3次、4次と使い古されている感じを受ける。
自分自身の研究や発見ではなく、ほかの人の研究や発見を参考にして動画を作っているからだと思う。
なので、YouTubeのなかでもテレビのような状態が生じている。
何が言いたいのか
今回はテレビからYouTubeなどへ移行し、自分自身で見るものが選択できるようになっているが、そもそも映像と音声からは抜け出せていないということと、情報源が確か(自分自身の経験や憲章に基づく)なものを信頼すべきということを伝えたかった。
映像と音声については、別に見たりするのはいいと思うのだが、これから見るとか、何を見るとかを意識する方がいいのかなと思った。