また台風が来るそうだ。
前回の教訓を活かして何かしたいところだが、頑丈そうな知り合いの家に避難するくらいしか思いつかない。
家自体は借家なので、外的な損傷があれば家主が修理してくれる。
この辺は賃貸のいいところだと思う。
話は変わって憎悪の対象のこと
仕事をしていて結構いろいろな人と関わる。
ある会社でちょっと浮いていた方が会社を退職した。
詳しくは知らないが、社内の人間関係がうまくいってなかったと思われる。
うまくいかなかった理由としてその人の性格や人との接し方があると思う。
ただ、その理由が実際に周りの人に嫌と思わせるきっかけになるのにはタイミング的なものがあると個人的に考えている。
例えば、その人の他に性格が悪くて、周りの人から嫌われている人がいたとすると、その人はそこまで嫌われなかったと思う。
一般的な職場やグループ、団体では必ず憎悪の対象というか、いじめられる対象が生じる。
無意識のうちにそういった対象を求めるし、生じさせるのだと思う。
ニュースとかでも
ニュースを見ていたりすると、いつも下品だなと思うが、物事を判断するのに必要なさそうな事を細かに報じたり、一方的に非難したりして、見ている人(読んでいる人)の好奇心と合わせて憎悪の気持ちを煽っている。
これも先ほどの集団があると憎悪の対象が生まれるのと同じ原理だと思う。
朝日新聞やその関連のネットの記事を読んだり、先の退職した人のことなどを考えていて、人は憎悪対象を求めているということをふと思った。
朝日新聞や、テレビなんかは意図的にそういった気持ちを煽るようなことをしている気がする。
伝えようとする情報にかなり私的な感情が込められているからだと思う。
情報以外のものが入ってくるので、情報を受け取る側の気持ちが揺れる。
意識していないもの
基本的にはどんな人にも無意識のなかにそういったものを求める気持ちというのはあると思う。
またタイミングや状況が重なるとそれが表面化して、社会生活の中で実際に憎悪の対象となる人が生まれたりする。
それがしょうがないかどうかというのはまた別の話で、個人的にはそういう気持ちが潜在的にあるということを理解することがまず大事だと思う。
注意しないといけないのは、メディアやマスコミはそういった気持ちが人にあるというのを分かったうえで、意図的に人の気持ちを煽るような記事を書いたり、放送をしたりしている点だ。
これは何というか報道の自由とかそういう問題ではなく、メディアによる人の気持ちのコントロールであると思う。
情報を受ける側としては、その記事や放送が意図的にそういったことをしている、していないは判断できないが、そういった効果があるということを理解したうえで、情報に接しないといけないと思う。
かつ丼を大盛りで食べたい。